綾町ガイドGuide

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宮崎県綾町には豊かな自然があります

町の自然がいきづく照葉樹林の郷

綾町(あやちょう)は、宮崎県の中西部に位置する町で、東諸県郡に属しています。「有機農業の町」、「照葉樹林都市」などをスローガンとする町おこしの成功例として知られ、自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が数多くいます。南部は宮崎平野の西端にあたり、北部は九州山地で急峻ですが、国内最大級の規模の照葉樹林(綾の照葉樹林)が広がっています。また、宮崎市との関わりも深く宮崎都市圏に属しています。奈良時代から日向国の交通の要衝であり、鎌倉時代から戦国時代までは伊東氏、江戸時代は薩摩藩領となって島津氏が統治した歴史があります。
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用しました。

照葉樹林と綾川渓谷歩道吊橋のこと

本町の照葉樹林帯は1982年(昭和57年)に九州中央山地国定公園に指定され、この公園内の綾川渓谷歩道吊橋を架橋しました。この橋の周辺は、照葉樹が競い合いながら生育し、自然生態系を形成しています。私達の今日の生活はこの自然生態系の中から生まれたもので、これを照葉樹林文化と言っています。そのような歴史や文化を考察する場所として、また原生的な自然の観察や探究、さらには森林浴による健康づくり、心の安らぎを求める場所として役立てたいと思います。この価値ある大自然を皆さんとともに、日本最大の遺伝子貯蔵庫として残すことに努力を重ね、その評価と判断を後世に生きる人々へゆだねたいと思います。

照葉樹林と渓谷

本町は、宮崎県のほぼ中央に位置し、宮崎市から西方約20km、大淀川の支流・本庄川をさかのぼったところにある中山間地域で、宮崎県のほぼ中央に位置し、東は国富町、南東は宮崎市高岡町、南西は野尻町、西は小林市須木村、北は西米良村に接しています。

宮崎県綾町には豊かな自然があります

綾町観光

国際クラフトの城

国際クラフトの城

国際クラフトの城では工芸品の展示・販売、実際に綾の伝統工芸を体験できる施設となっております。一流の工芸士の指導による陶芸教室・手織り体験・染色教室が開かれています。オリジナルの工芸作品をつくってみてはいかがでしょうか?

綾馬事公苑

綾馬事公苑

馬事公苑では引き馬体験、乗馬体験ができ初心者コースから経験者コースまでございます。また馬事公苑のシンボル花時計は季節によって四季折々の花々が直径28mの花時計を彩ります。馬事公苑の周りを1,500本ものソメイヨシノがぐるりと囲み春には「桜祭り」が行われます。

綾城

綾城

中世の山城を復元した建物です。いまから650年ほど前の元弘年間に築城され、伊東氏48城のひとつとして島津と戦う伊東方の重要な拠点になっていました。

サイクリングターミナル

サイクリングターミナル

サイクリング交流の拠点として整備された施設にはレンタルサイクルや陸上競技場、体育館、テニスコート、夏季には流れるプール、ローラスケート場、ナイター施設も完備しており、各種スポーツ施設、アウトドア・レジャー基地としても最適です。

酒泉の杜 綾温泉

酒泉の杜 綾温泉

蔵元「綾」酒泉の杜内にある温泉施設。癒しをテーマとした各種の湯が、慌ただしい日常の疲れを忘れさせてくれます。温泉の他にも多様な利用が可能な蔵元・雲海酒造直営の観光施設となっています。

綾川荘

綾川荘

綾北川の河畔に位置する照葉樹林に包まれた中で優雅なひと時を。レストラン"せせらぎ亭"では、地元「綾」の恵みをふんだんに使用した会席料理、囲炉裏を囲んで鮎料理、しし鍋をご賞味ください。マイクロバス送迎付きの女性限定の平日プランもございます。

桜祭り

桜祭り

乗馬クラブの綾馬事公苑で桜の見頃にあわせて、「綾の桜まつり」が開催されます。競馬場内を覆い尽くすほどの菜の花と1.500本ものソメイヨシノの優しいコントラストで心が癒されます。

照葉樹林マラソン

照葉樹林マラソン

宮崎の市民マラソンを代表する綾・照葉樹林マラソン毎年10月に行われ7,000名を超えるランナーが照葉樹林の大自然の中を駆け抜けます。

綾競馬

綾競馬

毎年11月初旬に開催される綾競馬は、15,000人以上の競馬ファンで盛り上がります。レースは、サラブレットが9レース、ポニーが3レースの計12レースで約80頭が出走します。歓声で湧き上がる人気イベントです。

あや工芸祭り

あや工芸祭り

綾町内38の工房が手作りの工芸品などを「綾てるはドーム」にて一堂に会して展示販売を行います。数多くの工芸品が特別価格で販売され、実演披露やオークション、綾町どれのおいしいものも販売されています。

綾町の歴史

綾町の歴史

本町の起源は古く、中央台地の尾立地区に縄文遺跡があることから、この時代に人が住んでいたと思われます。延喜式(西暦967年律令)に日向16駅のひとつの亜椰(綾)駅とあり、その跡があるので奈良時代には集落が形成されていました。鎌倉時代には伊東氏が支配し、綾城は伊東家48城のひとつで薩摩の島津氏と戦う拠点でありました。天正5年伊東氏は豊後に落ち、島津氏が明治維新まで支配しました。明治22年に綾村になり、昭和7年に町制を施行して今日にいたります。